taka34kun’s diary

原因不明の低酸素脳症になった息子

4月29日(月)面会

4月29日(月)

2日連続で面会に行った。このゴールデンウイークは極力会いに行きたい。

コロナの影響で、未だに面会日数は抑えられている。

しかし、こちらはいつ危篤となるか分からないので、いつでも会っておきたい。

そして少しの変化も見逃したくない。

人工呼吸器、腎臓透析、それ以外も身体の安定のための管が繋がっている

酸素は100だったが、肺には痰が溜まっているだろうし、血圧は昇圧剤無で

82、34歳で免疫力が低下とは言われたが、再生力は期待できないのか?

私は何も諦めないし、可能性を絶対に捨てない。

一度死んだ心臓が動き、脈を打ち、身体に血液を送る、酸素は人工呼吸器の力を

借りているが、酸素も供給している。

何故復活しないの?自発呼吸してくれ。脳幹を再生することが今の医学で

絶対出来ないのか?

奇跡よ、起きてくれ。お願いします。

4月28日(日)遷延性脳死・社会的脳死とほぼ脳死

4月28日(日)

脳死の判定は、日本では臓器提供の場合のみ行われる。

脳死判定と同等の項目に該当すると、ほぼ脳死と言われる。

しかし脳死から長期に生存した事例が多いことから、この脳死自体

死と言えるのかが疑問視される。

当然、移植を待つ方たちにとって、臓器提供が行われる脳死と言う判断は

とても重要で、この判断に異論は無い。

ただ脳死の間違いはあってはならないし、家族の意向を無視してはいけない。

遷延性脳死脳死ではない。

限りなく未来に繋がる命であると私は訴え続ける。

4月28日(日)日々生死を頑張って1か月

4月28日(日)

息子がまだ原因も分かっていない、心肺停止から1か月。

心臓だけの力で、身体を持たせる、よく頑張っている。

今日は酸素量100%、血圧も昇圧剤無しで92。腎機能が予断を許さない中

生きていてくれてありがとう。

面会でも涙が出る。

先週の日曜日、急変し、今も危篤状態と変わらない数字。

不安でしょうがない私と、失う恐怖から自分を失う妻。

家族の気持ちは、同じ境遇の人しかわからない。

家族が一体になるという場合もあると思うが、この1か月、壊れそうな心は

家族を一つには出来てないし、波のある気持ちは常に同じとは限らない。

とにかく生きて、奇跡を起こしてほしい。

 

4月27日(土)1か月を生きた

4月27日(土)

低酸素脳症はいつまで生きれるのかなんて、最初は考えたことがなかった。

障害が残る程度だけなのかと。

しかし、事は重大だと日々知らされていく。

日々心の恐れが増していく。

常に怖い。

妻と一緒の自宅の休日はここ1か月で初めてだった。

妻はほぼ睡眠薬と安定剤で寝ているしか自分を抑えられない。

起きていると、息子の名前を呼び、悲しみと人の幸せを許せない時間となる。

守ってあげる人が家族全部。

仕事をする時間が無くなっていくが、仕事をする自分に存在があるのか、疑問を持ちながら、働かなければ守れない人が居る。

今は今まで通り、できるだけ同じ日常を送ることで、自分を保っている。

1か月を生きれて息子。次の1か月も生きてくれ。守るのは俺だから。

4月26日(金)肺炎のたん吸引について

4月26日(金)

日曜日に危篤になった息子の原因が今日まで分からなかった。

息子のCRPが40で、体内で感染症が進み、息子自体の免疫が落ちている

そういう説明、それと腎臓の動きが悪いため透析をするが、将来にわたって

透析をする必要が出た場合、低酸素脳症の人の透析を継続することが難しくなる。

そんな家族に悪い情報をたれ流し。

しかし、最もダメなのは腎臓と肺炎の2点が今日分かった。

肺炎のたん吸引について

これについて説明がなかった。

人工呼吸器、気管支切開、重度な喘息、

肺炎って死ぬ病気でしょ?

何故説明しない。うちの息子殺す気か

4月26日(金)病院との話し合い

4月26日(金)

病院との話し合い、病院の偉い先生、看護師長、ソーシャルワーカー

こちらは私、妻、弟

3月29日に心肺停止の時、何の躊躇もなく、こちらの気持ちも無視して

植物人間になり、話すこと、歩くことも出来ない息子のことを話す主治医の対応

その後もPCPS、バルーンパンピングの説明なく離脱を決めた主治医の対応

今後の治療というより延命方針を愛のない言葉で詰め寄られたこと。

病院での治療は終わり、安定した状態によるソーシャルワーカーへの引継ぎ体制等

病院の問題ある過去の経緯、そして今回起きた危篤の説明を求めた。

土曜日に転院への説明と、現時点でのtaka34の体調の安定から翌日

何故余命1日程度まで悪化したのか説明を求めた。

大きな要因は肺の中への痰等の入り込みに対し肺炎を起こし、かつ腎臓の極度の低下。

数字的な話等、過去1か月で何も受けたこともないし、肺の話も初めて聞いた。

大病院だから救えた命と大病院だから、患者および家族の思いに対する愛情が無い

と断言する。

私たち家族の、思いはtaka34の命であり、ほぼ脳死とだれが言おうが、それは死者でもものでもなく、生命のある人間である。命への拘りは異常に執着しており、そこへのためらいは一切ない。2時間以上の話し合いに私たちの妥協は無いことだけを話した。

病院側は数値的には非常に危険度があることは間違いない。そこはご理解ください

と言われた。

誤嚥性肺炎の多さに私は疑問に思う事、それは肺の中に入ったものが多すぎたときに対処できないのか?今の医学はこれほど多く起きる肺炎に抗生物質だけで頼るのか?

命の尊さ、尊厳ある命をいうけれど、心臓が動いている、それだけで救われる家族の心に寄り添うだけの医学が足りないと感じた。

命への拘り、絶対に諦めない。

4月25日(木)涙がふと出る

4月25日(木)

今日も妻は面会を許可されていないが病院に向かう。

母親の無常の愛を感じる。

私が出来る事、奇跡でも何でも、taka34としゃべりたい、喧嘩ではなく

愛を持って言葉を受けたい。

車が好きで、車の話では喧嘩にはなることはなかった。

中古のHPを見るとtaka3を思い出し、急に涙が出てくる。

運転していても、taka34を思い出し、叫びたくなる、そして涙。

taka34が死ぬことは絶対想定しない。

奇跡は起きる。今日もそれだけは忘れない。