taka34kun’s diary

原因不明の低酸素脳症になった息子

4月24日(水)ソーシャルワーカーとの初顔合わせ

4月24日(水)10時~

病院所属のソーシャルワーカーとの初顔合わせ。

現段階が転院どころではなく、生死をさまよう状況であることから

ソーシャルワーカーとの話し合いの主題は病院をそうするか?

セカンドオピニオンとは

我々が適正な病院を探し出し、アポイント迄つけたのちに、現病院から

患者情報を貰い、セカンドオピニオンの可能性を話し合う。

ほぼこちらサイドで交渉を行う、コストは実費に近く高額、

非常にハードルが高く、聞いた限りでは不可能ではと思う内容となる。

現段階の主治医では、ルールに厳格すぎて、妻も弟も言いたい事聞きたい事が

話せない為、主治医の交代を要求。

転院の状況まで来た土曜日から日曜日の急変迄24時間も無く、余りに急激なのに

説明が無く、急変そのものに病院の信頼が出来ない。系列病院への転院含め話し合いを必要とする。

といった内容が主となった。

またtaka34は重篤な喘息患者で有り、かつ気管切開からの空き時間も無い中、循環器系・肺・気管支に問題が起きて、今回の危篤が継続、CPR40という数字に対し抗生物質が効かない事も、痰の吸引ミスも含めた問題が起きているのかの説明を受けたい。

病院と喧嘩をするつもりはないが、土曜日段階で転院を進めるにあたり主治医も、現段階の処置は全て終わり、以降はソーシャルワーカーと進めるように言われながら、昨日

『日曜日以降数値が全て悪く予断を許さない』というような会話を容認できない。

このまま死なせることは許せない体制に変わったという事。

4月23日(火)病院へ向かう

4月23日(火)

病院でtaka34に会いたい。

看護師さんに、taka34の状態を聞くと酸素量・血圧共に良好。

安心して、妻と病院に向かう事にした。

急変から2日目なので安心した気持ちで・・・・。

車中で病院からの着信アリ、一気に奈落の気持ち。

『主治医に変わります。taka34さんの状態は日曜日から変わっていません。

透析により腎臓の値のみ改善、それ以外の免疫数値が抗生物質で全然下がらない。

非常に危険な状態です。またそれ以外の数値も良くない。危険な状態が変わりません。それと抗生物質が効かない場合、今後の輸血は出来ません。それは脳の状況を含め、

全体の改善の見込めない方への治療では無い人への輸血が認められないから』

『私の血をいくらでも上げます。それでも輸血も出来ないのですか?』

『今血を貰ってもすぐに輸血が出来るわけでは無いので、無理です。』

どんだけ改善出来ないのだ?なんでも駄目なのか?

病院までの暗い道になったのは言うまでもない。

どんだけ泣いても、どれだけ祈っても助けられないのか。

神様お願いします。

命だけは奪わないで下さい。奇跡をほんの少し下さい。

 

4月22日(月)心配でしかない

4月22日(月)

息子の命がわずかな灯となっていると言われ、

見た目の数値は上がっても、脳波が無い限り、ほぼ脳死

EPS細胞のような、細胞レベルの進化を待つには時間が無い。

taka34の身体が持つのか。彼は目一杯頑張っている。

生きる力、生きたい力、そういうものが残っていて欲しい。

まだまだ会って話がしたい。

家族の悲鳴・泣き声・苦しみも日々続く。

4月21日(日)延命と救命

4月21日(日)

急変の話を聞き、空港で空席の情報を待った。ずっと満席。今日中に着くのが

限界か。と思って出発5分前に空席が出た。

危篤の家族の為、航空会社の方も全力で調整頂き、1時間半前に乗れた。

taka34にあえる。それでしか考えていない。弟達に連携、到着は20時になったが

空港から車を飛ばし、21時に病院に着く。

まず主治医の上司からの話

『今の状態説明、ほぼ脳死状態である事から、PCPSを入れた段階で守った臓器も

血流不足期間に損傷した臓器全てへの影響が計り知れない事、免疫力が低下している事、腎臓が前回の透析から10日でまた悪化している事、血圧が上がらなかったのは入院ふした時から血圧は安定した事は無く、常に大きく上下しているがこれも脳からの指令が無い事からやむを得ないのだが、下限に大幅に振れて危険な状況であること、肺も同様で全ての数字は徐々に悪くなっている事、治療方針的に大きなことは透析をするかしないで、今後の受け入れ病院が無くなる事を考えて欲しいという事、多臓器不全の恐れ、それに伴う心肺停止も想定する事』

正直このブログを書いていること自体、何してんだと思っている。

taka34の生き残る経過のつもりが、延命の話に変わってきている。

先生とも延命をして欲しいとはっきり言っている。とにかく生きていて欲しい。

息子を生かして欲しい。taka34が子供に会いたくて、会うために3月29日一度死んでから生き返った。

とにかく延命が足を落とそうと、身体に不自由が有ろうと。

これはエゴでしか無いのか。もっと何か感がるすべは無いのか。

先生助けて下さい。

4月21日(日)急変

4月21日(日)

昨日の安定、今後のソーシャルワーカーの話し合いと

ある意味順調と思い、外出をしていた。

14時、病院番号からの着信。嫌な予感

本当に不安でしかない。

『taka34さんのお父さんですか』

『はい、そうです。何かありましたか?』正直心は怯えてボロボロな状態

『taka34さんの状況が非常に良くない。肺の動きが悪く酸素が取り入れられない。

血圧の上昇が今の一般病棟用では間に合わない、CCUに戻し対応しますが、

至急に主治医の上司と話をしてもらいたいので、今すぐ病院に来れますか?』

『今、東京に居なく、飛行機で帰るにもすぐに帰れないのです。』正直心はどんどん動揺して爆発しそうである

『そうですか、主治医にその旨相談しますが、CCUで肺の蘇生・昇圧をしてみますか』

つい昨日転院の話、問題の無かった状態から、何故急変?

もう妻も私も何も考えられない。

その後主治医から電話

『taka34さんの状況は、今までの私の多数の同じ病状の方の事例からは1~2日もつかどうかのレベルです。至急にお話をしたいので、夜遅くてもいいので病院に来てください』

『もう、死んじゃうという事ですか?昨日転院の話をしていて、何が原因ですか』

『taka34さんの低酸素脳症の場合は急変は多いです。現段階で、血圧が上がらず、肺機能が落ちているのは、痰が肺に落ちたとか、肺に水が溜まっているとかいろいろ考えられますが、状況は危険な状況に変わりないので、まずは夜遅くても私は居ますので、お話をさせて下さい。1分1秒を急ぐレベルの状態ではありますが、夜までは持ちます。』

『分かりました。飛行機を早めてでも早く行けるようにします』

今日は神社廻りで、多くの神社にお参りとお守りを貰うつもりで動いていた。

妻がいますぐ空港に戻って、という言葉で、すぐに戻ることとした。

空港で、東京行の最も早い便を探してもらったが、18時30分まで無かった。

空席待ちもやって貰い。空港内で待機した「、

4月20日(土)転院に向けた話

4月20日(土)

転院に向けた話を主治医と行う。

気管切開・栄養管理まで行ったので、今後の最低医療の

方針を決め、転院に向けた話となった。

あくまでも、心臓マッサージ・AEDは出来ない。

人工透析が出来る療養病院が無い。

今いる病院は急性用病院の為、taka34の状態で長期療養は出来ないので

転院しかない。ソーシャルワーカーと話を進めて下さい。

体調上血圧は、昇圧剤の濃度を落としているので、心配は無い。

ソーシャルワーカーの約束の時間となり話をしようとしたら

看護師からソーシャルワーカーにアポイントが無いと言われた。

段取りが悪く、連携が悪い、どういう事?

taka34の体調に変化が無いのと、顔色は良さそうだったので

帰ることした。

 

4月19日(金)自分の心臓も診察、そして病院からの着信

4月19日(金)

今日はストレスとパニック障害からなのか、不整脈狭心症なのか

心臓を見てもらうために自分も通院をした。

結果は心電図とエコーでは大きな問題なく、精神的ストレスからの体調不良。

安定剤を少し多めに飲むようにして対処する。

電話の着信に気が付かなかった・・病院からの着信

よぎる不安、一気に体調が悪くなった。

『主治医からのお話があるので、明日お時間を取れますか?』

なんのこと?何故になんの話か教えてくれない。不安だけ?

ソーシャルワーカーとの話を進めることにはなってきている。

転院に向けた今後の話か?

素人に不安を煽るこの電話は何なんだ?

看護師の話ではtaka34の急変ではないという事だった。

明日に不安を持ったまま、ほぼ10数時間・・・親の身体も考えてくれないのか?